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人への依存は愛ではないのです

      2020/07/10

 

前回書いた内容で、家族関係と依存というものが繋がって理解できていない人も多いと思うので追記をしたいと思います。

まず、人への依存を共依存と言います。

共依存という言葉は、日本で言われだした言葉で、現在、世界的には根拠のない言葉とされていますが、僕は、共依存という概念には、真理があると今でも思っています。

なぜ、共依存という言葉が一般化されないかというと、共依存という関係の人は、ごく一部、確かにいるのだが、一部にしか当てはまらないとされているからです。

共依存とは互いに互をコントロールしあう関係というものです。

ちなみに、依存症の家族や周囲のかかわりとして、現在はイネイブリングという言葉が有名で、これはイネイブル=~することを助けるという意味で、簡単に言うと尻拭いをすることです。
周囲が尻拭いをするから当事者が自分の問題と思えずに、いつまでも同じことを繰り返すというわけです。

このイネイブリングという考えや言葉は根拠ある言葉とされています。

さて、僕が共依存という言葉に真理があると思うのは、これは、普通の家族の中でもある、いや、普通に社会の中にある人間関係にある、一般化できる言葉であると思うからです。

共依存は、お互いをコントロールし合うと言いましたが、支配も、暴力も、束縛も、甘やかしも、過保護もすべてコントロールです。
そういった愛し方は、拒否されますね。恨まれるようになる。
そして、人の成長を阻害するようになります。

問題は愛だと思っているのに伝わらないことです。

親がしつけだと称し、虐待をするとか。女性が愛だと称し、メールで束縛するとか。

男が教育だと称し、モラハラするとか。愛ではないですね。
上司が部下に~。友人が友人に~。すべて一緒です。愛が伝わらなければ、コントロールです。

そして、懇願、お願いすること、泣くこと、拒絶することもコントロールですよ。

でも、嫌なら、縁を切ればいい。

親子の、夫婦の、友達の、でもできないのです。
なぜ、縁を切ることができないのかです。
自分の言うことを聞かない人、自分を支配する人、ともに不快ではないですか。
嫌なら縁を切ったらいいと思うのです。でも、きれないのです。

僕の母親は父親から暴力を受けてきました。
殴られる度に、実家に帰っていました。僕は子供の頃から「お母さんは、お父さんと別れようと思う。ついてきてくれる?」と言われて育ってきました。

でも、結局、別れませんでした。今も別れていません。

僕は、オヤジは加害者で憎いというのはずっとありましたが、オカンに対しても「早く別れろや!ええかげんにせいよ!」とずっと思って生きてきました。

殴られて、憎んでも、決して別れようとしない母親。
みなさん、理解できますか?

共依存も、やはり依存です。
分かっていてもやめられません。別れたくても、別れることができないのですよ。

みなさんも共依存の成れの果てというのを目にしているはずです。
時々、新聞の三文記事で、80歳、90歳の老夫婦が殺し合いをするという事件です。見たことありませんか?

そういった記事を読んで「なんで、殺し合う前に、別れなかったのだろう?」という疑問が湧きませんか?
無理ですよ、別れられませんよ。共依存だから。

夫が妻を、妻が夫を、親が子を、子が親を、殺し合いです。
共依存の成れの果ては、殺し合いですね。人間は怖い、怖い(汗)。

何回も言いますが、憎しみだけなら縁を切ったら良い。
しかし、縁を切りたくても切れない人間関係の依存がそこにあるのです。これを、共依存を言います。

そして、やっとのことで縁を切ったと思ったら、また、同じような人と付き合うのです。

因果は繰り返されるのです。それは、また次の話ですかね。

 - 依存症

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